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ブログで書きやすい記事と書きにくい記事

ブログの記事に向かない話題 自分はブログを書き始めて、あと少しで一か月になります。 疲れて休んだり、忘れた事もありましたが、だんだん記事が多くなってきました。 もちろんネタが無くなってきます。最近は、メモ帳を作成するまでに至りました。 そしてネタが尽きた時は、自分の事については話せる事が多いので、話そうと思ったりします。 しかし、ブログというものは、何か伝えたい事があって書いているわけなのです。 そこで自分の事を書くとなると、伝えたい事が中々まとまらないのです。 何故まとまらないのでしょうか。 それは、自分の事を書くという事は、意見では事実だけを述べる事になるからです。 事実から意見に変化させるという事も確かに出来ます。 しかし、自分の事というものを評価するとなると、何とも主観的で短い文章になってしまうのです。 主観的になってしまうのは、なんとなく分かりますね。 短い文章になる、というのはどうしてか、という事について話します。 自分の性格というものは、何か特別な事が起こらない限り、ほとんど変わらないと思います。 つまりは、現在と同じ思考回路によってした行動を、今現在から評価する事になるわけです。 無意識に、それを当たり前の事だと思ってしまうので、自分の行動のどこにどういう特徴があるか気が付きにくいわけです。 どんな記事なら書きやすいか 個人的に書きやすいと思っているのは、現在の社会のあり方に反対するような意見です。 そういった意見というものは、一般的な意見と自分の意見を比較する事が容易なのです。 さらに、自分の意見にくるであろう反論、つまりはその意見の欠点や隙というものが思い浮かぶわけです。 反対的な意見に対して、根拠で述べるという事によって、読者に思考を働かせながら読ませる事ができます。 僕はよくそのような記事を書いています。 タグ:自論 の記事はこちらからご覧できます 少し一般化すると、上で紹介した、「現在の社会のあり方に反対するような意見」のような、比較がしやすい記事が書きやすい、という事です。 ただし、あまり過激すぎると急に炎上したりする事があるので、気を付けるべきだと思います。 なぜこの記事を書いたのか 現在僕が、「書く記事がない」、という状況に陥っています。 そこで、僕はそのことについて書こうと思ったわけです。 そんなこんなで終わりにします。 以上、ブログで書きやすい記事についてでした。

【ぐろこーんの大学受験論】現代文は部分ごとに考えて正解を導くらしい

僕の「現代文が苦手な理由」 現代文が得意な人にとっては、現代文が苦手な人を不思議に思うと思います。 出来る人によると、「読めば分かるじゃん」との事です。 では、逆に現代文が苦手な人はどう思っているかと言うと、 「読んでも分からない」という事です。 しかしながら、やはり現代文の解き方はあまり習わないので、 出来る人も出来ない人も、感覚で解いていると思います。 つまり、苦手な人というのは、ただ単にセンスが無いだけなのです。 現代文を習い始めて思ったこと 僕は、やはり現代文を改善したいと思い、僕はとある塾の現代文の映像授業を受ける事にしました。 すると、授業で先生が言っている事、よく分かるのですよ。 しかし、本当に実践できるのかどうか心配に思いました。 現代文を習って気づいたこと:部分ごとに考える その後、その先生が解くときの癖などを探しました。 結果、いくつかの要素に分けて判断している、という事に気づきました。 どういう事かというと、例えば、いかの 問題です。(適当に作成した問題です。) 筆者が述べていることについて正しいものを選びなさい。 ア:質は重要だが、量は重要ではない。 イ:量は重要だが、質は重要ではない。 ウ:質も量も重要である。 エ:重要な事は、質や量ではない。 この問題では、「質」と「量」という、二つの観点がありますよね。 この二つを別々に、 つまり「質は重要か」と「量は重要か」という事を別々に考える必要があるという事に気づいたのです。 出来ていると思っている人へ 別々に考えるなんて出来ている、と思っている方、本当に出来ていますか? どこで区切って、いくつの観点で考えているか、そしてそれらは本当に適切でしょうか? 特に、こういった事を感覚で解いている人も、自分の考え方が本当に正しいのか見直してみるのはどうでしょうか。 僕は、できるだけ、自分の感覚に頼らない事にします。 以上、現代文の解法についての話でした。

【ぐろこーんの大学受験論】理系一筋の僕が国語について考えてみた

現代文の問題は "意図を読む" 問題 現代文の問題では、常用している言語の文章を読んで、その読んだ通りに答えます。 しかし、なぜかしっかり読んでも分からない問題がいくつもあります。 それは、現代文の問題の性質が、文章の意図を読み解く事にあるからです。 僕は、評論だけでなく、小説も同じ性質の問題になっていると思います。 筆者がどういう心情の変化の面白さを表現しようとしているか、つまりその意図を読み取る問題になっているのではないでしょうか。 まぁ、高校生になって、小説の存在は薄まってきましたが。 それはそれとして、現代文の問題は、意図を読めるかどうかを聞いているのだと思います。 古典・漢文の問題は "文章を読む" 問題 古典・漢文の問題では、「文章を読めた」という事をアピールするように答えます。 現代文に比べて、古典・漢文の問題は、回答がはっきりしている事が多いです。 古典・漢文では、理屈的な問題が多いので、理系のほうが平均点が高い事もあるそうです。 解き方としては、英語の長文と似ています。 なので、文法と単語さえ覚えられれば、高得点をたたき出すことが出来ると思います。 ただし、古典・漢文の単語は日本語と似ているので、英単語よりも「覚えるべき」という意識がないのではないでしょうか。 僕は、気分屋でたまに真面目に古典・漢文の本文を全て読むのですが、すると文章を普通に理解することが出来ました。 要は、古典・漢文はしっかり読めば、多少は得点できるものなのです。 結論:国語は問題文を読むべき 僕は、国語が苦手で、読んでいる途中で飽きてしまいます。 しかし、問題文を最後まで読むと、案外分かったりするものです。 特に、古典・漢文は現代文より、分かりやすい・共感しやすい文章が多いです。 なので、苦手な方でも頑張って読む事をお勧めします。 もちろん現代文も読んだほうがいいと思います。 今回も終わり方が変ですが、これで終わりにしようと思います。 以上、理系一筋の自分が国語について考えてみた話でした。

【ぐろこーんの大学受験論】国語が大の苦手な僕が考える国語

国語は授業よりも宿題 皆さん、国語の授業、しっかり聞いていますか? 僕は、出来るだけ聞くようにしてますが、たまに寝ます。無意識にですか。 では、授業では、何に注目して聞いていますか? 僕は、特に注目して聞いているものはありません。 そもそも、ただただ教科書を解説しているだけなので、何を聞けばいいかよく分からないですよね。 じゃあ、何のために国語の授業を聞いているのですか? 今回は、このように国語の事について考えていきます。 授業が意味を成していない 授業を何のためにやっているか?という質問に答えられなかった方、多分教科書の解説しかしてない授業しか受けたことないと思います。 まあ、それは完全に先生側(学校側)の問題です。 僕は、中学生の時、国語ほどテストに役に立たない授業は無い、という事を思いました。 だってそうですよね。 国語の教科書の中の文章で、模試などに出たものが一つでもありますか? つまりは、国語は、解く練習にはなっても、解き方を学ぶことが出来ません。 まあ、どうしてそうなるか、みたいな事は言ってますが、結局他のテストではほとんど生きないです。 僕には、どうしてあのような授業を行うのかよく分かりません。 結局、授業を受けても点数は変わらないんですよ。 宿題やったほうが良い 国語の課題って答えを映している人が多いイメージがあります。 でも、授業はしっかり受けているのに、課題は適当にやる、というのは、とても無駄な行為だと思います。 国語の課題というのは、問題が明確に決まったうえで、本文を読み取るわけです。 これは、模試などで使える技術だと思います。 模試では、答えの探し方が上手い人程点がとれると思うので、問題が明確に決まった状態で本文を読み取る事は重要だと思うわけです。 つまり、国語の授業より、断然国語の課題のほうが役立っているわけです。 最後に そんなわけで、これからはしっかり課題をこなしていこうと思います。 以上、国語が大の苦手な僕が考える国語でした。

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